2024年現在、サイパンを訪れる観光客のほとんどが韓国人です。
私たち日本人夫婦がサイパンのどこのお店を訪れても、『アニョハセヨ~』と挨拶をされ、韓国人と間違えられました。
しかし30年前、1994年頃のサイパンを訪れる観光客といえば日本人というほど、ほとんどが日本人だったそうです。この30年の間に何があったのか。日本人が激減した理由について、以下のような記事をみつけました。
サイパンとグアム、日本人が消えた楽園の今 安売りしすぎたリゾートは復活できるか | レジャー・観光・ホテル | 東洋経済オンライン (toyokeizai.net)

なるほど、ツアーの安売りが原因だったんだね。

でも、サイパンの現地ガイドは違う理由も話してくれたよね。
ということで、私たちが現地ガイドから聞いた、日本人観光客がサイパンから激減した別の理由について書いてみたいと思います。
ただ、ここでお話しすることはあくまでも人から伝え聞いたウワサであり、信ぴょう性に欠けるものかもしれません。
ゴシップの1つとして楽しんで読んでいただければと思います。
1.『30年前のサイパンが一番楽しかった』
『30年前のサイパンが一番楽しかった』
これはあるサイパンの現地ガイドがつぶやいた言葉です。彼はもう30年以上もサイパンに住む地元民。
彼は、
当時の観光客といえば、ほとんどが日本人。日本人は現地の人たちと一緒に遊ぶし、パーティもする。日本人はたくさんのお金を現地に落としてくれた。
と話しました。さらに、
一方、現在の観光客は多くが韓国人。だから韓国の企業がサイパンにおける観光事業に参入しているけれど、韓国企業は自国から人を派遣する形でビジネスを行っているから現地にお金が落ちない。韓国人は地元民とも遊ばない。だから、サイパンが潤わない。
と言ったのです。
30年前の日本といえば、まさにバブルの絶頂期。多くの日本企業がサイパンの観光業に参入し、法人化していた頃です。また、当時の日本人は羽振りがよかったというのもあるのでしょう。
なのになぜ、サイパンから日本人が減ったのか。
それは、日本企業とサイパン政府との仲たがいだったらしいです。
2.サイパンから日本のホテルが一斉に撤退
当時、サイパンにはたくさんの日系ホテルが立ち並んでいました。サイパン政府はホテル側に税金を要求します。これは当たり前の話ですよね。
そして当初は政府の要求に応じていた日系ホテル側。
しかし、サイパン政府は税金がもっともっと欲しいためにどんどん税率を上げていったとか。
サイパン政府の無理な要求に次第に限界を感じた日系ホテル側は、そんなに税金を払えないと対立の姿勢を示します。そして結局、サイパンに見切りをつけ、一斉に撤退していったそうです。
このホテルの中には、JAL系傘下のニッコーホテルも含まれており、その後、JALがサイパン路線から撤退したという話にもつながっていきます。
直行便が少なくなると、当然日本人観光客の数も激減。
こういった経緯から日本人がサイパンを訪れる機会が少なくなった、と彼は言いました。
3.日系ホテル撤退後に目を付けた中国と韓国企業
日系ホテルの相次ぐ撤退でサイパンのホテルは次々と売却され、それを購入したのが中国や韓国の企業。
Wikipediaにもこのような記載がありました。
サイパン島 – Wikipedia
以前のニッコーホテルは、一度中国資本に移った後、韓国資本の企業に経営権が移ったらしいです。現在はケンジントンホテルと呼ばれています。
4.まとめ
いかがでしたでしょうか?
みなさんはこの話をどう思いますか?
私たちが出会った現地ガイドは30年前からサイパンに住んでおり、英語と日本語がペラペラ。韓国語は話せないようです。だから韓国勢が押し寄せる現状を嘆いていました。
その分、といってはなんですが、日本人相手の仕事が減った今、彼は私たちにかなり安くツアーを提供してくれました。私たちはラッキーだったのですが。
彼が言うには日本企業の撤退はサイパンにはかなりの痛手だったとか。その後、韓国や中国資本が入ってきたものの、中国資本は政治的関係ですぐさま撤退。使いようのないハコモノだけが残ってしまい廃墟が放置されている現状らしいです。
個人的な感想ですが、サイパンはとても魅力のある観光地でした。グアムほど観光地化が進んでおらず、自然が残り、ちょっと田舎っぽいところがすごく好きでした。島もタクシーですぐに回れるコンパクトサイズ。マニャガハ島、グロットは自信をもっておすすめしたいスポット。
今後、日本とサイパンを結ぶ路線がもっと増えて、日本からも旅行がしやすくなればもっと良いと願っています。
みなさんもぜひサイパンを訪れてみてください。グアム、セブ島、プーケット島などにはない良さがきっと感じられるはずです。
最後までお読みいただきありがとうございました。
ではでは!
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